吉祥寺とは

正式名は 青龍山 吉祥寺  (せいりゅうざん きちじょうじ)
鎌倉建長寺を本山とする臨済宗の禅寺です。

 
 関東平野の屋根にあたり、日本武尊(やまとたける)が遊んだと言われる武尊や、谷川岳などの山々が連なり、雪解けの清水が細川となって集まり、関東を縦断する利根川の源流のひとつの源の地に緑に囲まれて、歴史と共に歩んできた吉祥寺創建は南北朝時代の暦応二年(1339)中巌円月禅師を開山和尚とし大友氏時により創建されました。建長寺派四百有余かヶ寺の寺院の中で一番北域に位置することから、建長寺北の門とも呼ばれています。
 

 

吉祥寺(きちじょうじ)よく聞く名前ですね?
東京都の地名にも吉祥寺があります。その他にも吉祥寺と呼ばれるお寺は全国に沢山。でも、みんな関係があるかと言うと、ほとんど関係がないのです。そう同じ名前というだけ。

お寺の名前には山号と寺号とがあり、ここの吉祥寺は、山号が青龍山、寺号が吉祥寺となります。
山号寺号?簡単に説明しますと、人で言う姓が山号、名が寺号といった感じでしょうか。でも、たまに同姓度名の方もいますよね。そうお寺でもあるのです。そういったお寺でも、宗派や本山まで同と言った事はなく、ここ吉祥寺なら、宗派は臨済宗、本山は建長寺です。臨済宗 建長寺派 青龍山 吉祥寺 この名前のお寺はここだけとなります。

 

吉祥とは
吉兆・福徳・繁栄の事で、吉兆とは吉時が起きる兆し、福徳とは幸福と利徳、財産や幸せに恵まれる事です。

境内の建物

本堂(普光殿)

延宝三年(1675年)に再建された本堂は、百八坪の山内最大の建物で、禅寺に相応しい質素な作りになっていますが、欄間や仏像などは禅の精神と威厳を充分に示しています。また、本堂の回廊からは、三面違う景色を眺めながら、お抹茶「清泰庵」もお楽しみ頂けます。
 
 
釈迦堂(宝泉殿)

寛政2年(1790)に天嶺慧鑑和尚によって再建された釈迦堂。堂内には釈迦三尊像、左右奥には中興開山和尚像が祀られています。中でも中央正面にひときわ大きな釈迦如来坐像は、当山の本尊で、鎌倉時代後期の作と伝えられ群馬県の重要文化財になっています。また、入り口左側には見上げるような楠の一枚板、樹齢1000年と云われる板に   四十八世智顕英行住職が書いた「摩訶般若波羅蜜多心経」を彫上げた般若板も置かれています。
 
 
山門

文化十二年(1815年)に関寧大器和尚によって再建。入母屋造で、間口8.5m奥行き5.5m12本の丸柱仕上げで建てられている山門、山号額「青龍山」の文字は、北朝第4代天皇 後光厳天皇御染筆です。山門右手には楼上へ上がる階段があり、楼上には文殊菩薩を中尊に十六羅漢像が祀られています。
 
古月庵

平成25年(2013)9月に古月庵が宝物殿として一般の方にご覧頂けるようになりました。
 
 
金甲稲荷

中巌円月禅師が吉祥寺開創(1339年)の際、京都伏見稲荷を勧請し、吉祥寺鎮守としたものと言われ、早くから農耕、養蚕の守護神として近郊、近在の人々に尊信され、例祭は2月の初午の日とされたが、近年では2月11日の祝日に、地区の青年団員が女装をして地区の家々を回る『春駒祭り』として催され、本堂へ「春駒踊り」が奉納されます。現在の稲荷は平成25年完成のものです。
 
 
鐘楼

 
戦争により供出した梵鐘、平成6年に鐘楼とともに再建築したものが現在の鐘楼です。梵鐘の直径は4尺、その音色と音の伸びは多くの方からお褒めいただいています。この梵鐘、浄財を収めることで、どなたでもお撞いただけます。
 

吉祥寺の仏像群

本尊 釈迦三尊像(普光殿内)

 
釈迦堂に祀られている釈迦三尊像。その中央、釈迦如来坐像は像高三尺四寸四分、納衣を通肩にし禅定印を結んで蓮華座の上に結跏趺坐しています。菩提樹の下で静かに瞑想するお釈迦様の姿を現したものです。像はヒノキの寄木作りで、頭部を体部に差し首にしてあり、細い目、卵型の頭部、着衣の太めのひだなどは、鎌倉時代後期の特徴がよくあらわれています。仏師の系統は不明ですが、京都や奈良での作で、群馬県の重要文化財となっています。また、左右の文殊菩薩・普賢菩薩も江戸時代のものでこちらも重要なッ文化財となっています。
 
 
中巌円月禅師座像 (本堂内)

 
円月禅師は、鎌倉期の最も有名な禅僧の一人で、青年期に入元し、中国禅僧に師事して臨済宗を極め、百丈禅師の系統を引く大派の東陽徳輝和尚の法統を継ぎました。帰朝後、大友貞宗に尊信され、その庇護の下に中央で名を成し、貞宗死後、生前の約束によって、吉祥寺を開山。吉祥寺開山以後、鎌倉円覚寺、京都万寿寺、さらに、鎌倉建長寺の住持となりました。師は禅僧ばかりか、文学者とし、詩文の道にも長じ、その遺稿たる「東海一謳集」「空華集」は五山文学の白眉と讃えられています。
 
 
文殊菩薩象と十六羅漢象(山門)


 
山門楼上には、文殊菩薩を中尊に釈迦如来の十六高弟の羅漢像が鎮座しています。羅漢像は江戸中期に作られたのもで、二尺八寸実際よりは少し小さめに作られています。羅漢様は釈迦如来の真理に我々凡人欲人を導くために存在し、かつては民衆と共に生きていました。今は羅漢像となり欲界と仏界との橋渡しをしようと楼上に鎮座し鈍色の目を光らせています。
 
 
六地蔵
 (山門南側)

 
六地蔵とは、解脱できない命が生死 を繰り返す輪廻転生の「地獄道」「餓鬼道」「畜生道」「修羅道」「人道」「天道」の「六道」全てで、亡くなった方の苦悩を救済して頂ける地蔵菩薩のことでです。
 
 
延命地蔵
 (山門西側)

 
山門手前、六地蔵の向かい、県指定天然記念物「姫小松」の樹下に地蔵檀があり露座の延命地蔵尊が鎮座し祀られています。文政十三年、四二世 関寧大器代に地元の豪族から寄進されたもので、四尺八寸の唐銅造坐像で、関東百八地蔵尊第三十一番 札所に数えられています。